大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)1521号 判決

原告

小室妙子

原告

小室克明

原告

小室和子

右法定代理人親権者母

小室妙子

原告ら訴訟代理人

横山秀雄

被告

三起運輸株式会社

右代表者

佐藤彰一

被告

佐藤彰一

被告ら訴訟代理人

久保哲男

主文

一  被告三起運輸株式会社は、原告小室妙子に対し金一〇〇〇万円、同小室克明、同小室和子に対し各金九二六万二二九七円及び右各金員に対する昭和五三年一二月二二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告小室克明、同小室和子の被告三起運輸株式会社に対するその余の請求及び原告らの被告佐藤彰一に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告らと被告三起運輸株式会社との間に生じた分は同被告の、原告らと被告佐藤彰一との間に生じた分は原告らの各負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告小室妙子は亡小室宏の妻、原告小室克明及び同小室和子はいずれも亡宏の子である。

2  本件事故

(一) 訴外志田高(以下「志田」という。)は、昭和五三年一二月二一日午後一時五〇分ころ、大型貨物自動車(横浜一一か七五八〇。以下「加害車」という。)を運転して、横浜市中区新山下三丁目一四番先の信号のある丁字路交差点を、港湾病院方面から山下橋方面に向かつて右折進行するにあたり、右交差点の山下橋方面出口に設けられている横断歩道上を、青信号に従つて、港湾病院方面から反対側へ横断中の亡宏に、加害車の右前部を衝突させて轢過し、その結果、同人に対し、内臓破裂等の傷害を負わせ、同日午後三時五分ころ、同人を内臓破裂による失血によつて死亡させたものである。

(二) 志田は、前記右折進行に際し、進路右前方を注視せず、前記横断歩道上の歩行者の有無及びその安全を確認しないまま進行した過失によつて、本件事故を発生させたものである。

3  被告らの責任原因

(一) 被告三起運輸株式会社は、本件事故当時、加害車を同社の業務である貨物運送のため使用していたものであるから、その運行供用者として、自動車損害賠償保障法第三条の規定に基づき、原告らに対して、本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。〈中略〉

2  請求原因3の(一)(被告三起の責任原因)及び同(二)(被告佐藤の責任原因)については、被告佐藤が本件事故当時被告三起の代表取締役であつたことは認めるが、その余の事実は否認し、被告らの損害賠償責任は争う。

志田は、訴外日栄運輸機工株式会社(以下「日栄」という。)の従業員であつて、同社の業務に従事中に本件事故を起こしたものである。被告三起は、本件事故当時、日栄に対して同社の仕事を斡旋してはいたが、日栄は被告三起の下請人ではなかつた。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1(原告らと本件事故の被害者である亡宏との身分関係)、同2の(一)(本件事故発生)及び(二)(本件加害車輛の運転者である志田の過失)の各事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、請求原因3の(一)(被告三起の責任原因)について判断する。

1  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  日栄は、昭和五〇年三月に矢島位泰(以下「矢島」という。)が代表取締役となつて設立した貨物運送等を目的とする会社であるが、昭和五三年三月ころまで大型貨物自動車八台、運転手八名、事務員一名を擁し、横浜市緑区三保町に駐車場を賃借し、同所にプレハブの事務所を建てて、有限会社不二運輸倉庫等の貨物を運送する等の営業をしていたものの、従業員の集金持ち逃げなどが原因となり、不渡手形を出して同年同月、倒産した。八台の営業用大型貨物自動車は、販売会社である横浜日野から、代金不払いによりまもなく全部引き上げられてしまつた。

(二)  しかし、矢島は営業の継続を強く望み、かねて交際のあつた被告三起の代表取締役佐藤に対し、債権者の追及を免れるため、運送業を被告三起の名義で続けられるように頼んだところ、被告佐藤はこれを承諾した。

そのころ矢島と被告佐藤は日栄の最大の顧客である有限会社不二運輸倉庫を訪れ、同社の代表取締役野村隆二に右の旨を説明して了解を得た。また、営業に必要な貨物自動車は、被告三起がこれを提供することとした。

(三)  当時、被告佐藤は、被告三起の代表取締役のほかに、三晃自動車株式会社(以下「三晃」という。)をも経営しており、自動車の売買及び修理等をも手掛けていた。そこで、被告三起は自己の営業車中から余剰車を少なくとも三台日栄に賃貸し、このほかに三晃の自動車を少なくとも一台日栄に使わせることとした。加害車は三晃から融通を受けて日栄が使用していたものである。

(証人矢島位泰及び被告本人佐藤彰一は、いずれも、日栄は、倒産後、三晃から加害車を買い受けた旨供述しているが、本件事故直後、志田が右両名に電話して本件事故発生を報告したところ、同人らは、志田に対して、加害車は車検証上の所有者である愛知運輸の車であり志田も同社の従業員である旨警察官に供述するよう言つた旨の証人志田高(第一回)の証言及び、倒産後の日栄の経営が直ちに良好に転じたものとは解し難いことにてらし、右供述によつては日栄がその代金支払をも完了し、三晃の支配が全く及ばなくなつていたものと認めるには到底足りない。)

(四)  倒産前に日栄が賃借していた前記駐車場については、倒産後まもなく賃貸人が解約を申し入れてきたが、同人は、被告三起を名目上の賃借人とするなら新しく右駐車場の賃貸借契約を締結する意思を示したので、被告三起が賃借人となつて右駐車場を借りたうえ従前どおり日栄に使用させた。

(五)  日栄の事務所は、倒産後は被告佐藤が日栄からこれを借りて被告三起の支店としても使用し、更に、昭和五三年五月ころ、被告三起の専務取締役小林保男が志田の求めに応じて看板を与え、それまでの「日栄運輸機工」の看板に替えて「三起運輸」の看板を右事務所に掲げさせた。

(六)  三晃は、同社が日栄に使用させた加害車の車検手続を昭和五四年四月ころ行い、車検証と適合票の引換えは、被告三起の小林保男がした。

(七)  被告三起は、日栄の倒産後まもない昭和五三年六月ないし七月ころから、志田ほか一名の日栄の従業員の給料計算と、給料を渡す事務をその職員中田英子がし、日栄から有限会社不二運輸倉庫に対する運送料の集金も矢島が病気入院中、同人の依頼により小林保男、中田英子らが行つていたほか、志田が運転していた車輛のタコメーターチャート紙や作業日報なども提出させていた。

(八)  日栄倒産時に同社の事務員であつた杉浦は以前に被告三起の事務員をしていた者であり、志田は、昭和五二年八月ころまで被告三起に自動車を持ち込んで同社の下請けをしており、同年一〇月ころから日栄の運転手として勤め始めた。

(九)  被告三起の名称を借りた日栄のその後の営業成績は必ずしも芳しくなく、運転手の給料等経費を差し引くと殆んど利益は残らない状態であつた。

2  以上の事実によれば、被告三起は、本件事故当時、同被告名義で営業することを日栄に許した全車輛につき、その一を取り上げれば他の運行が経営上成り立たないという意味で生殺与奪の権を握つており、これは同被告でなく、三晃から日栄が融通を受けた加害車についてもかわりが無い。また、車検手続、日報やタコメーターのチャート紙を預つて集金、給料計算をする手続に際し、これを代行していた。従つて、被告三起は事故車輛の運行を掌握し得、これによる危険を未然に防ぐことが十分にできる立場にあつた。

また元日栄の駐車場に三起の看板を掲げさせ、得意先に三起の名義貸しの事実を伝え、事故まで相当長期にわたつて経営を続けさせたことにより、被告三起にも商業上無形の利益が生じたものと推認すべきであり、加害車の運行もその原因となつている。

一般に、自動車損害賠償保障法第三条の運行供用者責任の成否を定めるにあたつては、危険責任、報償責任の立場を考慮すべきものであるが、被告三起は、両者の観点から見て、加害車の運行供用者の立場にあつたものと認めるのが相当である。〈以下、省略〉

(三井哲夫 曽我大三郎 加藤美枝子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例